2021年7月、個人ブログをつくった
2021年は昨年延期された東京五輪が結局は開催された。おかげで7月の祝日が変更になって、例年にはない四連休ができた。俺はそこに一つ有給休暇をくっつけて五連休にした訳だけど、基本的には家で過ごした。一日ぐらいブログ書く日をつくろうと思っていたけど、それさえせずに、怠惰に過ごした。風呂のフタ買ったのと、新しいサンダル買ったぐらい。
結局連休は終わってしまったけれど、書こうと思っていたブログ記事を書く。特にテーマのある記事ではなく、2021年入ってから細かく思ったこと、感じたことを書いていければと思う。
休むことが苦手になっている
この一年ぐらい、純粋に休むということができなくなっていた。7月のよくわからない連休は、怠惰に過ごしてもいいかと元々思っていた。なので、せっかくの連休を、特に生産性のないYouTube巡回とか、ゲームとかに費やしたことに対して罪悪感はない。学生に戻ったような気持ちになれた。
休みの日が休めていないような感覚は、たぶんリモートワークと深く関係している。仕事そのもののストレスは減ったはずだ。電車通勤、取引先と会うわけでもないのに謎に毎日スーツ着用、上司からのマイクロマネジメント、意味のない仕事のための仕事、職場を飛び交う怒号や罵声、休日出勤。そういった不快要素はなくなった。
リモートワークで、平日と休日の境目が曖昧になった。平日の中に休日の要素が、休日の中に平日の要素が入った。更には感染症対策で旅行にもいけない。延々とだらだら日常が続いていくような感覚。ストレスは減っているはずだけれど、切れ目がない。
ストレス要因が減った、と言っても、今の世の中の動き自体が一番大きなストレスであるようにも思う。自分では疲れていないつもりだったが、この連休でダラダラ過ごしてみて、色んなことに体力を持っていかれていたのかな、とも思う。
適応する
大変アピールをしたい訳ではなくて、生活上の問題が何なのか、最初はわからなかったけどだんだんわかってきた、ということを書いている。フルリモート生活になった当初は、何が大変なのか、よくわかっていなかった。
問題を正確にとらえることができれば、正しく対応することができる。
職場に出社してたときは自然とスイッチのオンオフがあったけれど、リモートワークになるとそれが曖昧になる。だから自分で意識的にスイッチのオンオフをする必要がある。2020年を通して、家でもスイッチをオンにすることはできるようになった。その代償として家が安らげる場所じゃなくなってしまった感じがした。
住むところを変えて、スイッチのオンオフをしやすい環境をつくった。作業スペースと生活スペースをなんとなくわけた。以前は作業する机が食事テーブルも兼ねていた。昔は全然それで問題なかったんだけども、フルリモート生活だと一日の大半の時間を作業机で過ごすことになって、やはりメンタル的によくないんじゃないかと感じるようになったので、今は食事用テーブルをつくった。
小さなことかもしれないけれど、結構効果があったと思う。
世の中が平常に戻らなくてもイケるように行動した
部屋を探すときに考えたことだけれど、仮に今の感染症が収束して、世の中が平常に戻ったとしよう。また週五の出勤に戻る。ソフトウェアエンジニアの働き方として、もうフル出勤にする会社はそんなにないような気もするが、戻ったとする。
そうなるとやはり以前のように駅チカで職場への通勤便利な家がいいだろう。賢い判断をするなら、いつかは感染症も収束するのだから、今売りに出された都心駅チカマンションをおさえとく、という考えもあるかとは思う。
しかし世の中が平常に戻らなかったときのリスクの方が、俺にとってはデカいなと思った。世の中が平常に戻って、通勤大変だなと思えばそこでまた引っ越せば良い。とにかくリモートが続いてもメンタルを壊さないように、住環境を整えた。
2021年7月、個人ブログをつくった
リモートワークだけで一つ記事書けてしまいそうだけど、そっちは本当に書きたかったことではない。
2021年の上半期は、1〜3月は小説にあてて、4〜6月はエンジニアスキル向上に費やす、ということをやった。
小説はまだ選考結果は出ていないが、納得いくものではなかった。自分の書いたものの中では悪くなかったけれど、試行錯誤の中の産物だった。
エンジニアスキル向上の方が成果が出たかもしれない。One Week Challengeという名目で4月から一週間単位で触ったことない技術スタックに挑むという個人プロジェクトをやった。我ながら技術力を伸ばせた、と感じた。
One Week Challengeをやってく中で、以前から欲しかった個人サイト/個人ブログがつくれてしまいそうなことに気づいた。Next.js/TypeScript x Notionで個人ブログをつくった。それがこれ。
まだまだサイトとして改善したい点がたくさんあるので、純粋に記事を書くことに集中できないが、個人的な記事はこっちに書いていきたい。
なぜ個人ブログに回帰したのか
自分の好み100%でブログをつくりたい、という気持ちはずっとあった。ただ技術が追いついていなかったので、できなかったというだけだった。
FC2ブログ→はてなブログ(四十三庵)→noteという順に移行していて、今のところはnote/個人ブログという体制で行こうかと思っている。
四十三庵からよかった記事をサルベージする、というのもやった。
プラットフォームは時代とともに移り変わっていって、基本的には柔軟に乗っかっていくのがいいと思っている。
ただ近年の傾向として、プラットフォームはかなり閉鎖的にコンテンツを閉じこめるところがあって、「蔀が書いた記事」というよりは、「noteの記事」としての扱いになる。これはQiitaなんかもそう。よっぽど有名人じゃない限り、プラットフォームの一部として消費されてしまう。
時代の変化に柔軟に乗っかっていこう、という決意をしたのと同時に、自分の過去記事をストックする個人ブログをつくった。役割としてはアーカイブに近い。「過去の自分がこういうものを書いていました」という意味で公開していく。
四十三庵の記事が全然よく見えなくて驚いた
公開する、というのは他者のためであるのと同時に、自分のためでもある。いい言葉が浮かばないけれど、自己顕示欲を満たす、というのが近いんだろうか。「俺はこんなすごいものを書いたんだ」という気持ち? うーん、それも記事によるか。
「人の役に立つ」ということだけを考えるなら、過去の記事を内容アップデートしながら、保守していくというのが一番役に立つことだと思う。現実的ではないが。
四十三庵時代の記事をサルベージする作業をして気づいたが、思った以上にいいと思える記事が少なかった。特に学生時代の経済ネタなんかは当時はもっといいことを書いているような気持ちだったが、今読むとかなり微妙だと感じた。
時の洗礼を受ける、という表現があるが、自分のブログ記事でそれを感じるとは思わなかった。
学生時代なんかは書きたいことを書いていた、というのもある。当時のインターネット特有の攻撃性を入れるのがいい、と思っていたところもある。当時はそれが面白いと思っていた。知識面も、学生が調べて書いたというところから抜けてるところはないなと思う。要するにパッとしない記事だな、と感じた。
驚くべきことに958本あった記事から、サルベージしてもいいなと思う記事はたった38本だった。それも甘めの基準で選んでの38本だ。基準としては、
- 攻撃的/差別的な記述がない
- 記事の内容に何らかの価値がある。または、自分にとって価値がある
- 「この時代の俺はこんなことを書いた」と胸を張って言える内容
というところで選んでいる。そういえばアクセス数というのはあまり考えなかった。
しかし、過去の記事が悪く見えるというのは、自分の成長でもある。もし過去の記事が今でもよく見えるなら、何も成長できていないということだろう。
noteをやってみて
はてなブログからnoteに移って、一年ぐらいたつと思う。ダッシュボードを見ると、一年の累計が約6万views。尤もアクセスのほとんどが、2020年末に書いた桃鉄の攻略記事で、他の記事は100PV前後ぐらい。はてなと結局大して変わってなくね? というのはあるが、テーマがハマればバズる爆発力は強い気がした。
詳しい数字は見てないけれど、2020年ぐらいから一気にnoteも参入者が増えたように感じる。YouTubeへの参入と同じノリ。
noteのいいところとして、PV至上主義を避けて、文のクオリティそのものを評価する、という姿勢がある。その姿勢はトップページにもあらわれていて、デイリーのPVランキングで記事を載せるのではなくて、「編集部のおすすめ」という形でピックアップすることで、一定の質を担保している。
ここで言っている質の低い記事というのは、かつてアフィリエイトブログ全盛期にあった炎上商法や、他のサイトの切り貼りをしただけの「いかがでしたか?」ブログなどを指している。
noteのその姿勢はある程度Webをキレイにしたと思っているし、基本的にはいいことだとは今でも思っている。
しかし年月がたって、弊害も見えてきたと感じている。
noteの「編集部のおすすめ」のチョイスは偏っていて、ある程度傾向は見える。それを名づけるなら、エモ至上主義というところになるだろう。読者をいかにエモくできるかの競争になった。最初はそれでもよかったけれど、傾向ができると対策がされる。傾向と対策。
特に参入者が増えて、量産型エモ記事が増えたという風に俺は感じている。エッセイ風に「私はフラットなモノの見方をしていて、柔軟な感性を持っています。こんなことにモヤっとしました。もしかしたらモヤっとしない人もいるのかもしれません。けれどモヤっとする人がいるということは知っておいて欲しいと思いました」みたいなこと書いている記事。
過去のWebの世界にあった正論だったらどんなに攻撃的でも許されるみたいな世界観と比べたら、量産型エモ記事の方がまだいいと思う。けどこれもたぶんまた別の歪みなんだと思う。過適応の産物なのかな、とも思う。
いずれにせよ、俺がそこに最適化するのはよくないと感じた。
収益化について
noteに移行したのは、広告じゃないビジネスモデルで稼ぎたい、というのが一因でもあった。貴重な時間使って文章書いてんだから、それで稼げるのは理想的だ。それもできれば広告を入れるんじゃなくて、文章そのものを買ってもらいたい。
ワークスアプリケーションズのインターン行ったときの記事はきちんとカウントしていないけれど、1000円分ぐらいになっている気がする。他の投げ銭形式にしている記事も、たまに買ってくれる人がいて、トータルで何千円かぐらいにはなったと思う。
ただなんか歪みを感じてしまった。
Webは元々大量のただ働きを生み出していた。趣味の延長線上だから、というのが大義名分だったけれど、Web小説とかWebマンガとかボーカロイドとか、確実にインターネットのない時代なら客が金を払わないと消費できなかったエンタメを無料で楽しんでいた。それはテクノロジーを通じた搾取だし、文化の持続可能性のためによろしくない。だからちゃんといいクオリティの製作者には金銭的なリターンがある世界になるといい、という風に俺は思っている。だから真剣に書いたブログの記事は有料にしてもいい。それは間違えない。
ただ俺自身の話で言えば、中途半端なことをしているのを感じた。俺ぐらいのPV数だと、こづかいにもならない。たぶんよりエモい記事を書けば、もっと稼げるようになるだろう。でもそれって何なんだ? 何がしたいん?
別にそんなに強く書きたいものがある訳じゃない。たとえば何か強い政治思想があって、世の中にそれを広めたいとか、店かなんかやっていて、そこの商品をたくさん売るためにこだわりの製造工程を知って欲しいとか、明確な目的があって書いているわけではない。その時々で書きたいことを書いている。それが楽しい。
楽しくやってたことでお金稼げたらいいよね、というのはその通りだけど、音楽や動画制作であれば、もうちょっとやりやすいんだけど、文章においては楽しく書いてお金稼ぐというのはあんまり現実的ではないかと感じる。
ソフトウェアエンジニアとして、会社から生活に困らない金はもらえている。本当に金稼ぎたいなら、そっちに集中した方がいい。一行の日本語よりかは、一行のソースコードを書く方が、単価は圧倒的に高い。
アイデンティティーとしての個人ブログ
需要と供給、という話なら、より需要のあるものを提供するのが一番賢い。4〜6月はソフトウェアエンジニアとしての活動に集中した。文章はほとんど書かず、書いた文章といえばZennの技術記事ばかりだ。
技術記事は書けば基本的には感謝される。俺自身も人が書いた技術記事に助けられて、感謝している。専門知識ではあるので、誰にでも読めて有益な記事ではない。そのおかげで、読者も自然と選別されていて、はてなブックマークによくいる、ひたすら何かに文句言いたい人の標的にはならずにすむ良さもある。
ただ技術記事は文章を書く作業ではあっても、文章がメインではない。メインは技術情報だ。
四十三庵のサルベージ作業で思ったが、昔の記事はけして誉められた内容ではないが、そこには明確な個性があった。紛れもなく一人の人間が書いた文章であって、記事の内容の変化そのものが俺の人間としての変化にもつながっている。
その生臭い個性が読者にとって邪魔、という意見もわかる。20代学生(男)とか、40代主婦(女)とか、東大で勤務する哲学の教授とか、作者との距離はそのぐらいの解像度でいい、という気持ちになるときもある。俺自身もはてなブックマークに上がってきたブログを読むときは、そういう読み方をする。
noteのようなプラットフォームの色が強いところで書くと、note運営の思想が個性重視なのとは裏腹に、どんどん著者の個性が消されて、「noteの記事」になる。
この個人ブログは、自分で無限にカスタマイズできるというのもあって、より強く俺の趣味嗜好を反映したものにしていきたい。PV稼げそうなネタはnoteに、個人的なネタはこっちに書くような運用にしたい。
(了)