2020年のインターネットとこれからの身の振り方

結論から先に書くと、はてなブログ(四十三庵)からnoteに本格移行します。あわせてはてなブログの方はそのうち公開をやめようと思っています。(と言っても有料プランの更新の切れ目が2022年なので、そこまでは公開すると思いますが)

インターネットの新市街地

僕がインターネットというものにアクセスしたのは、2000年前半でした。OSはWindows ME。インターネット史をくどくど書くのはこの記事の本旨ではないので省きますが、2020年になって、とにかく雰囲気が変わったと思います。「インターネットが変わった」というのは主語が大きいのかもしれませんが、敢えてこういう書き方をします。

個人的な感覚では、2000年代は戦国時代で、2010年頃にGAFAの覇権が確立して、2020年に入るにあたって、それらの企業の覇権に少し綻びが出ていると感じています。

わかりやすいのはGoogleでしょう。2000年代のGoogleは本当に輝いていました。インターネットの持っている可能性を最大限高めてくれる天才の集まりでした。今も優秀なエンジニアが集まっていることには変わりないですが、その企業としての性質は大きく変化してしまったように思います。

2010年後半ぐらいから、インターネット広告が活発になり、それまで収益を得るのが非常に難しかったインターネットの世界で、急速に個人が収益化する方法が確立されていきました。その中でGoogleの広告網が果たした役割は大きいでしょう。

僕のはてなブログもGoogle Adsenseのおかげでささやかではありますが、トータル10万円程度の収益を得ました。2009年にブログをはじめたときのアフィリエイト環境はこんなこと到底無理でした。

しかしインターネットで個人が稼げるようになった代償として、Googleの検索結果は猛烈に汚されました。正直Google検索はほとんど機能していないレベルに来ています。

Googleの検索アルゴリズムとSEO業者のいたちごっこはGoogleが普及してから現在進行形で10年以上続いていますが、2020年現在、Googleは権威を重視するという方針をとりました。要するに信頼できる大企業や名門大学の情報を上位に表示して、個人ブログや個人サイトは一律で順位を下げる、という方針です。

もちろんSEO対策に成功したほぼスパムみたいな中身のないアフィリエイトブログが引っかかる状況は改善して欲しかったのですが、その煽りを受けて僕のブログの検索スコアもガンガン下げられました。

Googleがインターネットの世界を変えたのは間違えないです。彼らを中心に、インターネットの新市街地がつくられていったように思います。さらにGoogleのAndroid/AppleのiPhoneはパソコンが使えない人々にも容易にインターネットアクセスできるモバイル端末を提供するようになったし、Facebook/twitterというSNSで、個人のアカウントがつくられて、インターネット上に人格を持つようになりました。

インターネットの旧市街地としての5ちゃんねる、はてな、ドワンゴ

2010年代のアメリカのベイエリアの企業が起こした革新によって、それまでのインターネットユーザーの居場所は旧市街地と化したように思われます。

それまでのインターネットは、現実に居場所のない人間が匿名で何かを誹謗中傷するための場所でした。日本だと2ちゃんねるという掲示板が有名でした。今は5ちゃんねるという名前に変わりました。僕はモバイル中心の生活になって、全然見なくなってしまいました……

5ちゃんねるはアングラサイトですが、日本の中で純粋に技術力で勝負していたWeb企業というと、僕ははてなやドワンゴを思い浮かべます。ドワンゴのニコニコ動画は、かつてはYouTubeと並ぶ二大動画サイトでした。

けれどはてなもドワンゴも、「インターネットの旧市街地」と化しているように思います。かつての匿名で何でも書けた自由なWebの雰囲気をノスタルジー的に美化するのはいいんですけど、現実問題として我々が生きているのは2020年以降の世界であって、世界も変わっているし、我々も変わらなければならないのです。

自分の思ったことを発信する場としてはてなは非常に良い

はてなブログは何年も使っていますが、純粋にブログサービスとしては文句なしのサービスです。

noteがまだ実現できていない機能もたくさんあります。

純粋にアクセスを気にせずに、自分のために書いていく場としてはベストです。

が、年季の入ったサービスでもあり、過去の技術資産が足枷になって、変化のスピードが鈍くなっているのも感じます。

またWebサービスの流れが、個人が細かいカスタマイズしなくても、デフォルト設定で使ったら、その状態がほとんどの人間のベストな設定になっている、という風になっています。

その流れの中で、はてなの広すぎるカスタマイズ性は、ほとんどのユーザーが求めていないのに、エンジニアはそれを保守しなきゃいけない状況になっているように思われます。

何を書くかに対する変化

僕自身の話をします。

四十三庵というブログは2009年から更新をはじめて、今年で11年続けています。正直ブログとしての連続性みたいなものを保つのが困難になってきました。蔀という人間の変化に興味のある人間ぐらいしか読めない内容になっていました。

また過去の記事に関しても、さすがに古くなりすぎていて、僕も書いたときの記憶がないレベルになっていて、公開情報として責任が持てなくなっています。

基本スタンスは、「自分のために書く。それが他人の役に立つ可能性があるので公開する」で常にやっていました。実際僕もそんな感じで人が書いたものに助けられた経験があるので、公開すること自体に意味があると思っています。

今年僕は三十歳になります。年齢はそんなに気にしないタイプなんですが、それでも一つの節目だと考えております。

三十代だろうが六十代だろうが何だろうが、成長するし、変化していく気持ちはバリバリあります。ですが、文章を公開することの意味はもうちょっと考えたい、と思うようになりました。

もうちょいぶっちゃけた書き方をします。

読まれない文章を書くことに時間使いたくない。

これですね。

ポジティブな空気でクオリティを追求して書きたい

長い前置きになりましたけど、要するにもっと読まれる文章を書いていきたいと思っていて、そのためのプラットフォームとしてnoteを選択しようと思っている、という話です。

はてなやドワンゴが収益化するのが難しいのは、ネガティブなユーザーが多いサービスで、しかも彼らは古参ユーザーなので切り捨てる訳にもいかない、という点だと思っています。

九割ぐらい何かを叩くためにサービスを使って、一割で誉めるぐらいのバランスで生きている人々が集まるサービスというのは、ちょっと苦しい。

今のWebの空気感というのは、基本称賛で、気に入らなければ叩くのではなく無視する、というのがもう不文律のマナーになっていると思います。(Facebookのリアクションにlikeしかないように)

noteは会社としてそういうポジティブな空気を醸成しようとしている姿勢があります。長らくはてなで戦ってきましたが、2020年以降はプラットフォームをnoteに移そうと思います。

週一の更新はやめて、もっと質量のある記事を着実に積み重ねていくスタイルに変えます。

基本的には有料記事だが全文公開にして、投げ銭的に末尾に課金ボタンをつけて、内容がよければ対価を払ってもらう方式で公開しようと思っています。

よろしくお願いします。

(了)