2018年の目標

2017年の振り返りを書いたので、2018年の目標を書く。

2017年の振り返りというよりかは、2016年に落ち込んだメンタルを立て直していったのが2017年だった。 そのため途中から2016年のつらい気持ちを書きまくる記事になってしまった。 書いてる内容自体は、正直なところを書いているので、むしろもっと掘り下げたい気持ちがある。 近いうちに、どこかで書いてしまいたい。

統合する、という意味

前回の記事の最後に、2018年の目標は書いた。

「来年は、色んなものを統合する年にしたい。 文章を書く自分と、投資する自分と、働く自分とが、一人の人間として説明可能なようにしたい。」

正直もう2017年が終わってしまうというときで、時間に追われて強引にまとめにかかって、こういう雑な文になった。

もうちょっとちゃんと書くと、元々僕は芯のある人間ではなくて、その場その場に合わせて生きてきた人間だ。 大して仲良くない人間には、「芯がしっかりしてそう」と評価されるけれど、 そう見えるのはその場に合わせた人格で振る舞っているからなんだと思う。 どんな場面でも同一のキャラで振る舞うというのは、カッコいいけれど、現実的には厳しい。 先輩の前だと後輩としての振る舞いがあって、同世代といれば同世代として、先輩として振る舞わなければいけないところでは少し偉そうに、とか、 その上で共通した性格はあるんだろうけれど、細かいところでは矛盾が出てくるだろう。 後輩に説教したけれど自分は全然できてないとか、先輩が同じミスしたら見て見ぬふりをするとか。 その程度は人間なら誰でもあると思うんだけれど、もっと深い部分で僕は分裂している。

たとえば人生で何が一番大事かと聞かれたときに、場合によって金と答えたり、家族と答えたり、色々変わる。 日本の政策で新しい法律が施行されるときに、それがよいのか悪いのかと問われたとき、 本当に自分の中でどちらがいいのか、答えが出せなかったりする。 大学時代、定量的に分析可能でない問題というのは、考えないようにしていた。 それはそれで問題へのアプローチとしては意味があったんだけれど、 計測できないものについてのアプローチが、高校生ぐらいから進歩してないように思える。 高校までは、文学とか歴史とかが好きなタイプだった。 大学で経済学をやって、英語をそこそこやった。 会社入ってプログラミングをやっていて、見事にその知識がバラバラになっている。 自分のことが器用貧乏だなと思い始めた。 どの分野も専門家には叶わないが、ちょっと見識がある(あるいはそう自分では思っている)という状態だ。 オールラウンダーとして生きていこうと思っているので、別に方向としてはいいが、これ以上戦線を広げるのはやめたいと思っている。 人間のリソースには限界があるし、時間は有限だ。 とりあえず飯の種として、仕事が軌道に乗ったので、なんなら今ある知識で短くともあと二、三年は食いつなげる。

将来への不安への対処として、自分の本業と関係ない中途半端な資格をとったりする人を何人か見た。 たとえば全然会計なんて触れないのに、簿記二級とったり、海外なんて行かないのに英語やったり。 別に他の分野を勉強すること自体はムダにならなし、楽しいと思うけれど、 それって本当にやらなきゃいけないことからの逃避なんじゃないか? というふうに見えるときがあった。 確かにスキル形成というのは難しいけれど、戦力の逐次投入は何事もあまりよくないのではないかと思う。

僕の場合、これ以上何かを広げるというよりかは、過去やってきたこと同士が分断されているのをなんとかしたほうがいいと感じている。 簿記二級も昔とったけれど、じゃあいざ自分が働いている会社の財務がどうかというのは全然知らない。 なんなら普段利益すら気にしていないときがある。 (部署があんまり利益にうるさくないところ、というのもある)

大学時代はひたすら興味あることに対して知識を拡散させていく時期だったが、 そろそろそれを収束させなければいけないときが来ているように思える。 一生拡散させていようと思っていたが、そうすると器用貧乏で終わってしまう。 隠居みたいな生活になったら、全然役に立たないことを勉強するのもいいんだろうけれど、 不幸にして僕はお金を稼がなければいけなかった。

会計とか仕事とかは本当のところはどうでもいい話で、 音楽とか文学とか芸術とか、そういう感覚を使うものの方が僕の中では価値が高い。 どういう本を読んできたとか、どういう音楽をきいてきたかとか、 そういうものもひっくるめて、一つの人間が抱えているものとして統合したいと考えている。

逆に、そうしないと今後人生で迎える問題に対処できないような気がしている。 たとえば車を買うかどうかにしても、経済的な問題だけ考えればよいのであれば、カーシェアでよい。 けれど、もしあなたに三歳の子供がいたらどうだろう? 子供を病院につれていくときは? 習い事につれていくときは? 車があったほうがいいのではないか? そもそも経済的にベストを考えたら子供なんてつくるべきではなかっただろ? とか。 ここで本当に問題なのは、「三歳の子供がいたら車買った方がよいか、カーシェアで十分なのか」ではなくて、 金という一つの価値基軸に対して、子供という別の価値基軸があることだ。 フィナンシャルプランナーは金の節約方法は教えてくれるけれど、子供を幸せにする方法は教えてくれない。 どちらかの価値基軸をとってしまう、という選択肢もある。 金の亡者になるか、究極の親バカになるか。 けれど現実は、その中間をとらなければいけなかったりする。 孔子のいうところの中庸がどこか探ることになる。 中庸って一体どこなんだ、というと誰もわからない。 正解がない問題というのは、世の中むしろ多い。 そういう問題に対してアプローチするときに、自分の中で整理しきれてないと、何か大切なものを見過ごすことになる。

もうちょい具体的に書くと、大学時代はとにかく金が欲しくて、 金があれば自分の人生はだいぶマシになると思っていたんだけれど、 そもそも何のために金稼いでんだこれ、という気持ちになった。 なるべく問題を単純化したかったので、本当は違うのはわかっていたが、 金さえあればよいと考えるようにしていた自分がいた。 そもそも経済学をやっていたのも、もう四年前になっている。 色んな知識はついたけれど、それが全然バラバラで、使いづらい状態になっているな、というのが問題意識として生じてきた。

2017年の振り返り記事でも軽くは書いたんだけども、何のために金稼ぐかは別切りの記事にして突き詰めたい。

酒を控える

本格的に酒を控えるようにしようと思う。 この四年間ぐらい、相当酒に頼ってきたが、そろそろ飲みたいという気持ちもなくなってきた。 すごく飲みたい、というよりかは、単に習慣として飲んで寝る、という感じになっている。 飲んだら飲んだで美味しいが、いいことではない。

酒を飲んでしまう原因は、間違いなく仕事のストレスなので、 まずはストレス要因を排除していくようにしたい。

Twitterから距離をとって、ブログ中心にする

長らくTwitterやってきたのだが、短文でぽんぽん書いていくのは、 思考としてあまりよくないなと思うようになった。 あんまり突き詰めて考えなくなってしまう。 長い文章を書いていると、自分の中で矛盾して、「あれこれはなんでだ」と立ち止まって考えて色々整理できたりする。 Twitterはスピード感がある分、過去のログにはならない。 ブログのほうが自分の財産になる。 (アフィリエイト的な意味でも)

Twitterアカウント消すことも一時考えたけれど、あれはあれで表面的ではあるもののひとつの人間関係ができているので残そうと思う。

ブログに心の記事を書く

今までこの「四十三庵」というブログは、白黒はっきりつけられる話題を扱おうという傾向があった。 なるべく定量的なデータを見つつ、客観的な記述をして、何かの記事を書いた。 映画の感想とか音楽の感想とかはさすがにデータもクソもないので、感じたことを書いた記事もあったけど、メインではなかった。 高校生ぐらいから、「何かを議論するとき、多少国語力があれば、基本的には賛否どっちでも主張できるな」と気づいた。 そこで本当に正しい選択をするためには、統計データのようなエビデンスがないとダメだなと思ったのだった。 「ごちゃごちゃなんか書いてるけど、これは主張にすらなっていない」というのは世の中けっこうある。 ロジカルに議論する際は、感情というのは排除すべきだ。これは正しい。

ただ生きることにおいて、感情を排除することは不可能だ。 そこを勘違いしているつもりはなかったが、掘り下げは足らなかったと思う。 「ごちゃごちゃなんか書いてある」部分に、重要な点がある。 基本的には自分の心が抱えている問題について、つらつら書こうと思っている。 結構ブログのスタンスとしては転換点だと思う。 思い返してみると、もともと当初はそういうブログにするつもりではじめたんだった。 ただ大学生だった僕の思考回路が、急速に経済学に寄っていったために、文学的というか、エッセイみたいな記事というのは書かなかった。 エッセイ的なものを書くというのは、ツッコミやすいので、レベルの低い議論になることが多くて、当初嫌だった。 2ちゃんねるで繰り広げられていた、「たけのこの里派」と「きのこの山派」の戦いみたいなことはしたくないと思っていた。

(少子高齢化の記事。現在非公開)

2011年に書いたのに、未だにアクセス多い記事だが、 この記事なんかはエビデンスを何かしら出してるのと、固めのテーマに対して割と穏当な結論なので、 なんかしょーもない批判みたいなのはそんなに来なかった。 これがたとえば「少子高齢化進むけど、経済が衰退しても幸せならいいじゃん!」みたいな書き方だったら、 もっとイデオロギー的な批判に晒されたかもしれない。

最近のブログ業界は、アフィリエイトとSEOが進みすぎて、完全に商売っ気強くなりすぎてるなという問題意識があり、 それも、もっとエモーショナルなスタンスでやっていこうと思うに至った一つの理由。

まとめ

自分の中ではもっと細かい目標はありますが、それはブログに書くことではない気がしている。 最低でも週一くらいで何か書きたいなと思っているんですけど、実際どんな感じになるかはわかりません。

(了)