2017年のふりかえり
2017年を振り返ります。
仕事について
概ね順調だった気がする。 年の前半は、ガリガリコーディングして、デバッグして、 上手く行かなかったら再修正というのをずっとやった。 その後ひたすらテストしてた。 結構しんどかったが、まあなんとか形になった。
年の後半は、「働き方改革」とかに乗っかって、残業をあんましないようにした。 会社としては早帰りを推進しているが、現場的には残業してる奴がやっぱ評価されるので、 納得行かないものはあったが、気にせず帰ることにした。 あと朝方に切り替えて、満員電車を避けるようにした。
この二つの習慣で、仕事中のパフォーマンスはめちゃくちゃあがった。
ブログについて
今確認したら、2017年は19個の記事を書いたらしい。 2016年が27個、2015年も27個、2014年は48個、というペース。 就職して順調に執筆ペースが落ちてる感じがいいですね。
アクセス数については、 2017年で、25万ユーザー/33万PV というところだったよう。 ちなみに2016年は32万ユーザー/44万PV、2015年は23万ユーザー/32万PV。 それより前はもうデータが消えてて、地味にショック。 2010年にAnalytics入れてたので、七年分のアクセス記録が残ってると思っていた。
2010年は18万PVだったらしく、そこから多分もうちょい成長して、2013年か2014年あたりがピークだったと思う。 年間で60万PVくらいいってたんだと思う。
更新頻度の割には、アクセスの落ち込みはそんなに、という感じだろうか。 アフィリエイト的には6.8万((ずっとGoogle Adsenseって収益公開禁止だと思ってたんだけど、収益自体は公開可らしい。PVとかクリック率とか載せるとアウトらしい))という感じ。 Amazonは微妙だけど、Googleは結構稼いでくれるな、という印象。 全盛期のPV数あれば年間10万円以上いけそうだが、そこまでブログ頑張れない。。。
投資について
2015年から、ずっとFX一本でやってたが、 もうちょっと分散しようということで、投資信託を買ってみた。 投信を買うというのは、ちょっと敗北感があったが、個別株を追う程の元気はなかった。 結果的には、悪くないリターンだった。 NISAの枠もちょうど使えた。
投資目標としては年間10%以上のリターンがあればいいと思っていて、三年連続でそれは達成できた。 リスクを負えばもっと儲けられるんだが、ちょっと躊躇している。 真面目にコツコツ働くのが一番儲かる状態なので、そんな冒険することもないかと思っている。 結局リスクコントロールだよね。 リスクを負えばいくらでも……
あと仮想通貨だけど、今年の上旬にお試しでビットコイン何万か突っ込んでみようかと迷ってたら、 50万に上がったので手控えたら200万まで行ったので、そこは臆病だったなと思ってる。 後悔もしてないけれど、ああいう新しい時代を予期させるものが持っている爆発力というのを過小評価していた。 会社員という立場で何年か生きてきたせいで、保守的になっている気がする。
2016年の話
2016年は希死念慮がめちゃくちゃ高まった年だった。 仕事は上手くいっていたが、本当の意味でのやりがいは感じられなかった。 就活してた頃から日本企業はクソだと思っていたが、そのクソの一人に自分が成り下がったような気持ちがしていた。 何のために金を稼ぐのかがわからなくなった。 酒を飲むことを、働くことのモチベーションにしようと思い、平日でも休日でも酒を飲んだ。 ヘルニアになったせいで、体調も悪かった。 毎週病院に行くのはかなりめんどくさかった。
東京にいたくないのに、東京で働き続けなければならないことに気づいた。 悪い冗談みたいだった。 満員電車に詰め込まれて、デザインセンスのないビルに囲まれた道を歩いて、 太陽の光が届かない中で一日中パソコンを叩いて、意味のない仕事をして、 帰って、風呂に入って、飯を食って、寝て、また次の一日…… 僕が仲良かった数少ない人々は、どんどん東京を離れていった。 地方配属になったり、地元に戻ったり、色々だった。
結婚の話とかも最悪だった。 周りはどんどん結婚していくが、僕は一切結婚したくなかった。 ◯◯歳までに結婚してないとダメ、みたいな風潮がホントに気持ち悪くてしょうがなかった。 婚活に勤しむ同期とかも気持ち悪かった。 仕事はしなければ食べていけないから就職活動をしたが、積極的に仕事をしたかったわけではない。 もっと言えば大学だって行きたくなかった。 会社員で、結婚していて、子供がいて、住宅ローン組んでマイホームに住むみたいな人生を望んでいるわけではなかった。 それなのに当たり前のようにそういうルートに乗せられていることに気づいた。 大した人生経験もない、安定志向の男が、 結婚しただけで自分は勝ち組だと思いこんで、「で、お前はいつ結婚すんの?」みたいなこと聞いてくんのが未だに気持ち悪い。
そういう自分の中の暗い気持ちを、他人に相談することもできなかった。 僕が置かれている立場は、それなりに恵まれた正社員であって、他人が同情するようなものではなかった。 就活が上手くいっていないときは、僕はわかりやすく弱者だった。 ほとんど初対面の人間に自分の辛さを話しても、相手がどういう反応を示すかはともかく、それが辛いというのは理解できたはずだ。 去年から僕が抱いていた辛さというのは、「それは何が辛いの?」と言われてしまうようなものだろう。
その頃の気持ちが出ている記事は、この辺りか。
「理想が人を殺すとき」(2016/09/04) ※非公開記事
「2016年ハマった音楽」(2016//12/27) ※非公開記事
辛さの正体
今去年感じていた辛さを説明するならば、弱者でなくなった自分を扱いきれなくなっていたのだと思う。 大学ではほとんど友達がいなかったし、通学時間は長くて、金はいつもなかった。 大学時代で、貯金が50万を超えたことは一度もなかった気がする。 恋人がいた期間もわずかしかない。 強くやりたいことがあるわけでもない。 講義が終わるといつも暇で、ブログを書いたり2ちゃんねるをやったりしていた。 僕は弱者だった。 もっと金が欲しいと思っていたし、退屈を埋めたいと思っていた。 当時の僕の動機は、不足とか不快感とか、マイナスの状態から生まれていた。 電車に乗る時間が長いから、もっと学校に近い家に住みたい。 お金がないから、お金を稼ぎたい。 親が嫌いなので、実家を出たい。
就職して正社員になったことで、そのマイナスはほとんど埋められてしまった。 もちろん完全に埋められたわけではないけれど、相当埋められてしまった。 買いたいものがあればだいたい買えてしまうし、行きたい場所があれば時間さえとれれば行けてしまう。
結局、僕は満たされていたのだった。
何のために金を稼ぐのか
ずっと金が欲しいと思っていたけれど、だからといって金で何かがしたいというのもなかった。 去年ずっと憂鬱だった原因は、それに起因しているのだと思う。 何も欲しくないんであれば、こんな思いをしてでも金を稼ぐ必要なんてない。 とりあえず欲しいモノを買うようにした。 アーロンチェア、iPhone7、iPhoneX、MacBook、ルンバ、コート、スーツ、バッグ。 飲みたい酒、食べたい店。
そういう物欲を満たされたとき、本当によくわからなくなった。 それらのモノは、別に僕の人生に存在しなくてもいいモノだった。 もちろん欲しいモノではあった。 そういう、自分がちゃんと選んだモノに囲まれている生活は心地よかった。 僕は本当はそうやって、予算制約ではなくて、自分の価値観に芯から合うモノをちゃんと選んで、自分の納得するモノだけに囲まれて生きたかったから。 よくわからなかったのは、それでも会社に行かなければいけなかったことだ。 大抵の欲望は叶ったのに、仕事をしたくないという、一番大きな願望は叶わなかった。 一番大きな願望をごまかして、小さな願望をちまちま叶えているのが、馬鹿馬鹿しかった。
本当はこの、「何のために金を稼ぐか」というのは、一つの記事にしようと思っていたけれど、できなかった。 それでも中途半端なまま、ここに書き残しておこうと思った。
会社員をやっていると、ひどい会社でなければ、三年以上働くのであれば、100万円単位の消費ができる。 たとえば、ちょっと高めの予算で海外に行くとか、車を買うとか、そういうタイプの消費活動ができる。 けれど、よりよい人生を送ろうとしたら、もっと大きな単位の金が必要になることに気づいた。 それが家だ。 いい家に住もうとすると、100万円なんて頭金にもならない。 今、都内のタワーマンションの2LDKの部屋が、だいたい4000万円くらいが相場だ。 郊外の一軒家とかもそんな感じ。 1000万単位の消費になると、到底今の僕では不可能だ。
イエとクルマ
何のために金を稼ぐのかを突き詰めていったとき、一つの到達点になるのが家と車なのだと思う。
所謂サラリーマンがデカい出費をするとなると、結局家と結婚と車の三つなんだと思う 結婚は、結婚しなければ金は減らないが、家は生きている限り住まないといけない。 アパートなのかマンションなのか一軒家なのか、或いはホテルなのか橋の下なのか、どこかに家は必要になる。 車は要らないっちゃ要らないのだが、車があると、パーソナルスペースのまま遠くへ移動できる。 電車とかバスとかを利用しなくていいというのは、それだけでいいことだ。 ある意味だと家の延長線上に車はある。 家と車を買うことは、この世界にパーソナルスペースを増やせることに他ならない。
結婚して子供を作ることは、家族を増やすことで、自分の仲間を増やすことができる。
芸能人とかが結婚して大豪邸建てたりすんのも、結局は家と仲間なのだ。 広い家に、愛で結ばれた家族と住むのが、「成功」なのだ。
自分探し
ずっと金を得られればいい生活ができると思っていた。 けれどそれがそうでもなかった。 そもそも自分は何がほしいのか? 就職活動のとき、志望動機を聞かれたとき、どうしてもごまかさざるを得なかった。 「サラリーマンになりたくないです」と思いながら、何かを喋った。 やりたいことを突き詰めていったら、海辺の街で隠居生活を贈りたいと思っていた。 でもそんなことをしたら許されないから、大学に行って働き始めた。
昔から嫌いだった言葉がいくつかある。 「自分探し」「モラトリアム」「生きづらさ」「アイデンティティ」 とか、そういう言葉。 特に高校生ぐらいからか。 「個性」とか「生きる力」とか「オンリーワン」とかも嫌いだった。 そういう言葉は、恵まれた人間の恵まれた悩みだった。 親が金持ちだったり、甘えた人間だったり、なんか余裕がある連中が、そういうたわ言を言うのだと思っていた。
90年代くらいから、「心の時代」と言われるようになったらしい。 僕が子供の頃、X JAPANとかNirvanaとかの全盛期があった。 そこから、Kurtは自殺して、Xのhideは謎の死を遂げて、ボーカルのToshiは新興宗教に洗脳された。 Toshiは、Home of Heartのゴミみたいな教祖に何億と金を渡した。 日本代表の中田英寿が自分探しのために世界放浪したり、ミスチルの桜井さんはずっとそういう曲作ったりしていた。 別に高度経済成長時代が、皆詰め込み教育のつまらない人間だったとは思わないけれど、 ある種画一的だったことは間違えなくて、その同一性が文化的に崩れてきたのと同時に、日本に経済的停滞がやってきた。 自分探しに熱心だった人間が何を得たのかはわからないけれど、経済的成功ではないことは確かだった。
自分が何なのか、というのは、僕の中では昔から一つの答えがあった。 「自分というのは、環境次第で変わる、相対的なものである」 つまり、ラテンアメリカの人間に囲まれたら、どんな人間でも暗い人間として扱われるし、 北朝鮮の兵隊に囲まれたら、どんな人間でも明るい人間になれるだろう。
だから、自分探しのために世界放浪の旅をするのはあんまり意味がない。 どんな環境でも固有の自我なんてものは存在しない。 本当に望ましい自分でいたいのであれば、環境自体をそういう風に保たなければならない。
今年一年は、敢えてそういう「自分探し」をしていた。 環境もコントロールできるとして、どんな自分でいたいのか? 「こんなふうになりたくない」という像はいくつかあったけれど、唯一無二の理想像はなかった。 ロールモデルが存在しない、というのは苦しいなのだとはじめて思った。 憧れの何かがいて、その人みたいになろうとする方がずっと楽だと思う。
どうしたか
2017年で一番よかったと思うのは、車を運転し始めたことだ。 主にカーシェアで車に乗るようになった。 車を運転して、那須とか箱根とか御殿場とか館山とか草津とかに行った。 田舎の道を走っていると、都会で息苦しく生きている自分を忘れることができた。 そういう意味ではゴルフもよかった。 つくられた自然であっても、緑があふれる広い場所にいるというのは、いいことだった。
自分の嫌いなものは避けて、なるべく好きなものだけに触れるようにした。 無理して誰かに会うとかは避けて、心地いい空間にとどまるようにした。 心地いい音楽、心地いい空間、心地いい食事、心地いい酒、心地いい会話。 とにかく価値観が合わない場所に無理して適応しようとしないことにした。
あとは映画とかマンガとか音楽とか小説とかをめちゃくちゃ摂取した。 たぶんマンガが一番多かったと思う。 (社畜しながらだと重い小説とか映画とかはキツくなってくる)
「2017年、刺さったマンガの感想を真剣に書く」(2017/12/25) ※非公開記事
文章が書けなかった
2016年あたりから、はじめて文章が書けない、という事態に直面した。 残業がすごい多いわけじゃなく、土日も100%ではないけれど休んでいたので、ブログを更新する時間はあった。 実際何回か書こうと思ったけれど、書けなくなっている自分がいた。 びっくりした。 びっくりするのもおかしいのか? 学校で、作文の時間があったときに、書けないということは人生で一度もなかった。 同級生で白紙の原稿用紙の前で止まっている奴とかいたけれど、意味がわからなかった。 書けばいいじゃないか、と思っていた。 書いて納得いかなかったらやり直せばいいだろうと。 去年あたりから、書けなくなった。 いくつか原因はあるだろう。 仕事の中でビジネス文書しか書いていないこととか、ほとんど人の文章を読んでないとか、そもそもブログに書きたいネタがないこととか。 原因はともかく、「書きたいのに書けない」という症状がはじめてだった。
少しずつリハビリをしている。 この記事を書いているのもその一環だ。 もしかしたらもう二度と昔のようには書けないかもしれない。 けれど少しずつ、書いていこうと思う。
幸いにして、ほとんど読み返すことがなかった、たくさんの文章を残している。 自分のために残したわけではないけれど、そういうものを読むことで、自分が何を考えていたのかを追っている。 僕はいつからか記憶することを放棄していた。 大学時代とか正直なところほとんど覚えていない。 けれどその中で何が大切で、何がどうでもよいことだったのかを分けようとしている。 大切なものだけは拾いたいと思っている。
2018年の目標
来年は、色んなものを統合する年にしたい。 文章を書く自分と、投資する自分と、働く自分とが、一人の人間として説明可能なようにしたい。
(了)