11年書き続けたはてなブログ四十三庵を非公開にしたので思い出とそこから学んだことを書きます

四十三庵という11年(11年!)運営していたはてなブログを非公開にしました。実質的には削除です。約1000記事ぐらいあって、ごく稀に自分の過去の記事を参照したいときがあるので、そのときのためにプライベートモードにしています。

僕の中ではもう7月にnoteに行くで!と決めて、宣言もしていたので、四十三庵の方はもうとっくに終わっていて、消えていないだけという状態でした。ふと今週になってPV数見たら、50PV/dayぐらいになっていて、「ああもう公開する意味ないな」と思って、衝動的に非公開にしました。

❌ Unsupported block (embed)

こんなツイートをしたら、ブログ経由でTwitterをフォローしてくれてた方が惜しむリプライをくれて、「ああ俺の中ではこのブログ終わってたけど、読者の中では生きてたんだなあ」と思って、しみじみしました。

11年続けたことをやめる、というのは確かに大きなことではあるので、思い出と学んだことをちゃんと書いておこうと思いました。

数字で見る四十三庵

細かいことを書いていく前に、サクッと四十三庵に関するデータをまとめてみました。

総PV数: 1,482,935 PV 平均日次PV: 349 PV / day 購読者数: 73人 開始日: 2009/3/4 終了日: 2020/10/20 継続日数: 4,248日

累計にすると、結構すごい数字になりますね。数字の中身を振り返っていきましょう。

ブログはじめたきっかけ(2009〜2010)

高校生のときには、大学入ったらブログつくりたいと思っていました。当時は個人がホームページ持つのがブログサービスの登場でかなり楽になっていた時期でした。

2009/3/4に、FC2ブログで蔀というアカウント名で、四十三庵を開設しました。最初の記事はなんか自分がそれまで読んだ本の一覧をあげていますね。文学と経済について書くブログになる予定でした。

FC2がとにかく読まれなくて、色々調べたらはてなというとこのブログ(当時ははてなダイアリーという名前でした)がいいらしいというのを見て、はてなに移転しました。これが2010/8/18。

この時期は誰かに書いているというよりかは、本当にひとりごとを書いてるような気持ちでしたね。

おとり物件についての記事とか、ゴールデンボンバーのすっぴん画像載せてた記事(今では本人のブログで普通に見れると思いますが)とかがアクセス支えてました。懐かしい。

そこそこ読まれるようになった(2011)

Google Analyticsの昔のデータが消えてるので正確ではないですが、2011年がたぶんブログのアクセス数的にはピークだったと思います。1日2000PV超えがあって、嬉しかった気がします。

はてなブックマークのホットエントリに載ったり、まなめはうす(※今はなきカリスマニュースサイト)に取り上げてもらったりしました。

大学三年生になって、経済学の勉強もそれなりのところまで来て、経済関連の記事は今見てもいいものが書けてたように見えます。東日本大震災のタイミングでFXはじめて、損したり得したりしてました。

就職活動が大変なことに(2012〜2013)

2012年4月ぐらいから、就職活動がはじまって、全然面接が通らずに、結局就職留年を選択することになりました。ブログでも「全然面接通らなくて死にたい」みたいなことを書いてますね。

今振り返ると、僕は頭でっかちで、偉そうなこと言ってるけど行動が伴ってないタイプだったので、自分の何が悪いのかもよくわからなかったですね。当時は自分にはコミュ力がないからダメなんだ、と思ってましたが、どっちかっていうと姿勢の問題だったかなと思います。「この会社で絶対に働きたいんです! この仕事が僕の天職なんです!」みたいな姿勢を見せる必要があったのに、その辺がよくわかってなかったですね。

日本の新卒就活の異常性とか気持ち悪さとかは今でもオエッってなりますけど、そんなこと言っても仕事もらわないことには生きていかれないので、なんとか適応するしかないですね。

2012年は沈んでましたが、2013年はもう4月に内定もらって、残した4単位をとるために週一か二で大学行って、あとは自由時間みたいな生活だったので、ブログ活動的には捗ってたと思います。

今思えば「就活必勝法!」みたいなの書けば需要あったのかもしれませんが、就活がマジで嫌いすぎて触れたくもなかったですね。

あとブログの宣伝用につくったTwitterが、そっちの方が面白くなっちゃって、はてなブログよりもTwitterの方が頻繁にやっていた気がします。夜何時間でも張りついて、しょーもないツイートしてました。

就活で苦戦した時期、Twitterを通して人と会って、仕事紹介してもらったこともありました。紹介してもらった仕事が特殊すぎたのと、僕自身がやっぱ明確に自分をアピールできてなかったので、結局その仕事も決まりませんでしたが、自分の殻を少しずつ破る材料にはなっていた気がしています。

Adsenseを導入した。Webの変化を感じた(2014〜2018)

学生ブログあるあるで、就職すると更新が激減してしまうというのがあると思います。最初の一年はその重力に抗おうとして、意識的に更新してたんですが、学生の頃と違ってインプットがめちゃくちゃ少なくなります。いや、仕事ではインプットすると思いますが、それは大学の勉強みたいにブログにアウトプットするわけにもいきません。というわけで頑張って更新してましたが、どうしてもネタ的にはクオリティが落ちていってるなと思いました。

学生の頃は一記事書くためにほぼ一日使ったこともあって、今思うと贅沢な時間の使い方だったなと思います。

(書きながらググって、本読んで、適宜引用もして、たまに画像やグラフ挟んで、あれグラフってどうやったら挿入できるんだ? みたいなことをやってると、割と余裕で一日潰れました)

ブログの更新頻度は月に一度あればいい方ぐらいまで落ちてましたが、過去記事がそれなりに検索流入あったので、500PV/dayぐらいはあったように思います。

2016/3/28にGoogle Adsenseを導入しました。2010年代は今振り返ると本当にWebが変わった時代だったと思います。圧倒的にユーザービリティがよくなったのとともに、広告を通して稼げる収益がめちゃくちゃ上がりました。

今では下火になりましたけど、「プロブロガーを目指そう!」みたいなのが盛り上がった時代でもあります。アフィリエイトブログがめちゃくちゃ増えて、Google検索が無限に汚染されていきました。

Adsenseの収益はトータルで10万ちょいだと思います。これも正確ではないですが。10万稼いだ、っていうとまあまあですが、はてなブログの有料プランがトータル43,200円、さくらのドメインで54,000円のコストが発生してるんで、ギリ黒字ってトコです。

Adsenseの収益自体は大した額じゃないですが、2009年にブログはじめた感覚からすると、感動はありましたね。昔収益化しようとしたらAmazonアフィリエイトぐらいしか選択肢なくて、Amazonの場合買ってもらわないと行けなかったので、記事の内容もステマみたいになってました。Adsenseは普通に記事書けば良かったので、すごく良かったです。

就活で悩んでた頃と比べれば、客観的に見れば良い時期だったと思うんですが、僕の中では苦しい時期でした。ブラック企業に就職して仕事がしんどい、というわけでもなくて、なんか言葉にできない苦しみがあって、自分でも上手く説明できなかったです。

就活の苦しみは内定もらえば消えますが、仕事の苦しみは仕事やめるまで続くので、出口がないのが嫌でしたね。

転職して週一更新へ(2019〜2020)

転職して、前職に比べたら色々緩い会社に入ったので、ブログは更新しやすくなりました。

この頃になると、ブログのPVは1日200PV稼ぐのがやっと、という感じでした。

2020年1月から、週一更新で落ちこんだPVを回復させようとします。

が、努力とは裏腹に、PV数は回復しませんでした。

なぜか?

もちろん僕の書いた記事がヒットしなかった、というのはあります。

しかし、Googleの検索ロジックが、個人ブログに対して低い評価をしはじめたのが一番大きかったです。

2010年代後半、GoogleとSEO業者のいたちごっこが繰り返されました。Googleがクソみたいなアフィブログを上に出さないために新しいアルゴリズムを組めば、アフィブログはそれをハックして、なんとか上に出そうとしました。2020年に入り、Googleは遂に「企業や組織の信頼できる情報発信を上位に表示する」という仕様に変更しました。

Googleからの信用度を高めるためには、特定のジャンルに特化して、「この人のこのジャンルの発言なら信用できる」という評価を頂かなければなりません。僕の書いていた雑記ブログは厳しい戦いになりました。

2020年の1〜6月ぐらいまで、毎週更新続けたんですが、それでも更新があった日で200PV程度で、右肩下がりは止まりませんでした。結果出てないことに時間費やしても仕方ないんで、毎週の更新はやめました。すると現在一日50PVまで落ちたんで、どうやら毎週更新という努力をして、やっと200PVがキープできてたという状況だったみたいです。

ブロガーの心が折れるとき

ブログをやめるパターンって、仕事忙しくなるとか、結婚して執筆時間が無くなったとか、身バレしたとか、炎上したとか、いろんなパターンあると思います。

僕がトドメ刺されたのは、結局のところPVの減少でした。だって一時期は1000PV超えてたものが、200PV稼ぐのもギリって、そらキツいですよ。50PVになってるの見て、もう完全に心が折れました。

ブログ書くモチベーションって色々あると思うんですけど、やっぱ多くの人に読まれたいっていうのは根本にあると思うんですよ。読まれないブログはひとりごとになっちゃうし、それなら公開する意味がないじゃないですか。読まれてナンボなんですよ。

四十三庵とはなんだったのか

ブログというは、自分のアイデンティティーの大きな部分を占めていました。自分でも上手く説明できないですが、自分の明らかな個性というか、自分らしさとか、自分の人と違うところとか、そういうのを考えたときに、「このブログ読んで」と紹介しても恥ずかしくないような存在でした。

思考ノートというか、興味あることを書いて、書きながら調べて、書きながら考えて、最終的には自分が当初思ってたことと全然違う内容になることが多かったですね。特に学生時代、経済ネタで書いてるときは小レポートみたいなものが多かったです。

元々四十三庵という名前も、「人里離れた庵で隠居生活を送りながら、俗世から少し離れて、ゆったり書く」みたいな、鎌倉時代の知識人的なことがやりたくて、けど現代社会でそんなことも叶わないので、せめてそういう感じのことをブログでやろうという気持ちがありました。

自分の考えたことを公開したのは、まちがえなくよかったです。公開することで、自分の成長にもつながったし、それ以上に少しでも人の役に立ったことがよかったと思います。

僕自身、色んなブログ読んで、少しずつ影響受けていると思います。具体的に参考にして、行動に取り入れるものはそんなにないですが、「こういう考えもあるんだ」とか「こういう生き方もあるんだなあ」とか、そういう小さな影響。ただそういう小さな影響って、人生のどこかで突然重要になることもあるので、読んだ時点では小さくても、実は重要だったりするわけです。

僕のブログが他人の人生を動かすほど大きなものだとは思わないですけど、たくさんの小さな影響の一つになれた、というのはたぶん確かなので、そのことが嬉しいです。

まさか消すときが来るとは思ってませんでした。仮にアクセス数が下がったとしても、過去の記事の積み重ねを考えて、公開したままにしておくだろう、と自分では思っていました。

自分自身の変化に過去の記事が耐えられなくなっている

11年も自分の思考をアウトプットするブログ続けると、自分自身の変化が如実にあらわれます。

文章の書き方が変わるとか、表埋めたり画像埋めたりが上手くなるとか、その手の変化はいいんですけど、もっと根本的なところでの変化があったんですよね。それこそ今までキリスト教徒だった人間が、イスラム教徒になったぐらいの変化。

もちろん大半の読者は「この人は20xx年の時点ではこういう風に考えてたんだな」という風に大人の読み方をしてくれるとは思います。けど本来的には、書き手としては、そういう記事はアップデートすべきだと思うんです。追記でも、本文修正でもいいですけど、今はこれが正しいと思う、を残したいんです。

アップデートができていない時点で、その記事はもう保守できてないわけです。

学生時代はどちらかというとマクロに物事を見ようとしていました。世の中の選択肢を全部ナメて、その上で最適解を見つけようという発想をしていたんですが、それが社会人になってからムリだと気づきました。今の考え方はミクロの方に寄っています。

思想も立場も変わっています。

僕は今職業的にはiOSエンジニアですが、2009年の段階では想像もしていませんでした。というか僕は携帯持つのも相当遅くて、大学入るときやっとガラケー買ったぐらいなので、たぶんブログ開設時は携帯すら持ってませんでしたね。スマホに変えるのも就活のときにやっと変えたので、わりかしレイトマジョリティだったと思います。

「思想の確立」という原点は達成できたか

最初にFC2でブログつくったとき、「思想の確立」というサブタイトルをつけていました。大学一年生の僕は、ブログを書く行為を通して、自分の思想の中に強力な思想、軸をつくりたかったんですね。

たとえば夏目漱石の則天去私とか、仏教の思想とか、自分の人生全てを貫くような、強固な思想を求めていました。

学生生活を通して、色んなものに幅広く触れるようにしました。宗教、文学、哲学、芸術、経済学、数学、海外文化、映画、……けど結局何か一言で自分の信念を言い表すようなものは見つかりませんでした。

強いていうならば、「変わり続けること」は大事にしたいと思っています。四十三庵というブログは世の中から超然としていたい、みたいな精神が元々ありましたが、そんな思いを持っていた僕でも、結局見直してみたら世界の変化の影響をガンガンに受けています。

僕が生まれた90年代は、日本が失われた20年に突入する真っ只中で、世の中の色んなものが変わらない、ある意味では特殊な時代でした。時々時間が止まっているみたいだな、と思いました。テレビではいつまでも同じ司会者が、同じ番組をやっていて、オリコンチャートにはずっと同じバンド。

けど変化はゆっくり、ゆっくり起こっていました。いいともも終わったし、とんねるずもテレビから消えたし、オリコンは米津玄師とかあいみょんとかが出てきて、全然様変わりしています。

世界の変化に無縁でいたければ、田舎で自給自足生活でもすればいいですけど、そんな生活でさえ、完全に世の中の変化と無縁ではいられないでしょう。そもそも僕はそんな生活をする選択肢はなくて、都会で働き続けるしかなくて、変化と無縁でなんていられないのです。

保守的な中年がよくいう、「新しいものが必ずしもいいわけじゃないよね」とか「それって(昔あった何か)と何が違うの?」とか、そういう一見正論のように見えるけど、実際は単に変化を本能的に拒むだけの言葉を間に受けていた時期もありました。

でもだいたいの新しいものって、既存の何かの課題を解決するために誕生しているのであって、基本的には新しいものの方がいいに決まっている、と思うようになりました。もちろんこれは原則であって、例外もあります。だから思考停止して流行を追いかけるのもダメで、新しいものを気軽に試して、良し悪しは自分で判断するのが正しい姿勢だと思います。

20代の終わりに

「SIerの中で出世して、何かを管理する人になるんじゃなくて、自分の手を動かして何かをつくる人でいたい」という気持ちで転職して、単に仕事が変わっただけでなくて、生き方も考え方も大きく変わりました。

四十三庵を運営していた時期は、ほぼ僕の20代の時期(ちょっと10代も入っている)です。「ブログは僕の青春でした」みたいな寒いこと言うつもりはないですが、それでもちょっとエモい気持ちはあります。

そこそこ偏差値高めの大学通って、経済勉強して、世の中に対して批判的なモノの見方をしていて、基本周りをバカにしていて、皮肉が多いタイプでした。将来学者や評論家になるならば、それでよかったでしょう。

周りをバカにする反面、その論拠を見つけるために大学で周りの学生よりはちゃんと勉強したり、学術書と向かい合ったりしていたのは、今思い返すと偉いと思います。

けどやっぱ、いざプレイヤーとしてフィールドに立ったとき、自分が他人に向けていた辛口の評価が、自分に返ってくるんですよね。

よくあることではあると思うんです。口では偉そうに野球のアドバイスしてくるけど、実際試合出てるところ見ると全然ダメ、みたいな現象。

「自分がそいつ以上に上手くできないなら批判するな」という話じゃなくて、「しょーもない粗探しして、非生産的な批判をするな」という話です。

2020年入ってから、Twitterのツイートの内容も変えていて、人をバカにする内容のツイートを徹底的に排除するようにしています。人をバカにするのは、結局安心したいだけだと思うんですよね。本当の不安は自分が圧倒的な実績や成果が残せてないところなのに、他人のミスや間違いでマウントとって、気持ち良くなっちゃう。

20代はとにかく試行錯誤でした。自分の内面に沈みこんだ、というのも違って、自分の内面を耕しつつ、外からの影響も強く受けつつ、たくさん失敗もして、たくさん成長もしたと思います。できれば三島由紀夫とかKurtとかみたいに、20代のうちに圧倒的な作品残して認められたかった、という気持ちはありますけど、その気持ちは27歳ぐらいで捨てました。

30代はとにかく外を意識したいんですよね。人のためになる仕事をなるべくたくさんやりたいですし、それを通して評価も受けたいです。それに必要なスキルはもうほぼほぼそろってきた感じはあって、文章とかプログラミングとか英語とか、昔に比べて武器は増えていると思います。まだまだ貧弱ではあるので、さらに伸ばす必要はありますが。

すごいものをつくるのは難しいが、それを目指す

Twitter運営を通して、何かを攻撃して、それに同調する人々を集めると、簡単に人気が得られることがわかりました。けど今思うと、やっぱ単純によくなかったと思います。

何かを攻撃して得た人気って結局焼畑農業みたいなものなので、攻撃し尽くした段階で別の燃やす土地を探さなければ行けなくて、それを延々繰り返してると人格的にも歪んでしまうと思います。

ブログもPV欲しさに、ダークサイドに落ちてしまう人がいました。イケダハヤトの炎上商法みたいな例がわかりやすいと思います。結局最後まで僕のブログのPVは回復しませんでしたが、ダークサイドに落ちることはなかったのはよかったと思います。

ダークサイドに落ちるのは、「本当に価値があるもの」というのは、つくるのがすごく難しいという、極めて当たり前の事実が原因だと思います。

「本当に面白くて、それでいて人気もあるブログ」を誰も彼も簡単につくれたらいいんですが、いくらブログを開設するのがお手軽になっても、「本当に価値があるコンテンツ」をつくるのは、永遠に難しいままだと思います。

焼畑農業的な戦略は、とりあえずてっとりばやく人気(PV数)は獲得できます。特にWeb広告がすごくお手軽になってからは、収益目的からもはやくPV数伸ばしたい、伸ばさないと生活がたちゆかなくなる、という人が増えた気がします。

僕は長らく、「人気がなくても本当にいいものは存在する」というサブカル精神でやってましたが、30代入るにあたって、品質も高い・人気も高い領域を目指そうと思うようになりました。

まとめ

というわけで、四十三庵に書いていた記事をバッサリ捨てることにしました。要は、過去の記事をなくして、身軽にしたかったのです。

(了)