10ヶ月のリモートワークとメンタル

2020年は僕にとってフルリモートで(ほぼ)一年過ごすという特殊な年になりました。

リモートであれしたらよかった、これしたらよかったというのは小出しに書いていますが、総合的に書いていきます。本記事ではお役立ち情報というよりかは、もっと主観的に、実際にやってみてどう感じたかをメインで書きたいと思っています。

外出自粛が与えたメンタルへの影響

僕自身、どちらかといえばインドア派なんですが、それでも外出自粛が長期化するとメンタル的にキツかったです。

どこかの大学の研究で、「人は外に出て30分ほど日光を浴びると脳内物質が出て覚醒状態になる」みたいなのがあるらしいですが、リモートでずっと家だと外の変化と切り離されることになります。

僕は意識的に一日一回は外に出るようにはしていましたが、そうは言っても家の周辺なんて大して代わり映えのない景色です。

大雨が降っても影響がないですし、人身事故で電車が止まることもないです。ただそのかわり変化や刺激が極端に少なくなります。時々「これ生きてんのか?」みたいな感覚に陥りました。

環境音に過敏になる

3〜6月ぐらいの時期は本気でスーパー・コンビニとランニングのための公園ぐらいしか外出していませんでしたが、感染者数も落ち着いてきたので、そろそろちょっとぐらい外出してもいいだろうということで、スーパー銭湯に行きました。

何ヶ月もの間、僕は一人暮らしの部屋の中で、自分で選んで音を出さない限り音の発するもののない、極度に静かな空間で生活していました。自分の好きな音楽を流したり、YouTube流したりはしていましたが、それは自分で選んだ音でした。また仕事中にビデオ通話をつないで話すことでコミュニケーションをとっていましたが、それも自分に関係のない話題でうるさいときはミュートすることもできるものでした。

数ヶ月ぶりにスーパー銭湯に入ると、まず率直に周りがうるさいと感じました。自分の望んでない話し声がそこら中にあふれていて、辛い気持ちになりました。おまけにデカいテレビがあって、興味のない番組の音が鳴り響いていたのも辛かったです。

しかし今振り返ってみると、めちゃくちゃ騒がしいという状態ではなくて、常識的な範囲の騒音でした。外出してどっか行けば、その程度の環境音はあるよね、という程度。それがめちゃくちゃうるさく感じました。

ひとえに僕の社会性がめちゃくちゃ下がっていたことの証拠だと思います。

通勤するという行為自体が一日のリズムをつくっていた

人生を振り返ってみると、赤ん坊の頃は家の中にいる時間が長くて、大きくなってくると学校に通うようになって、日中は集団生活をしています。小中高大と経験して、だんだん集団の中での自由度は上がっていって、社会人になったタイミングでまためちゃくちゃ不自由な生活を強いられることになりました。

朝決まった時間に出社して、決まった時間に退勤(残業がなければ)して、という生活でした。何年か社会人生活して電車通勤がホントに辛かったので、住む場所を会社付近にして電車使わない生活にしたらだいぶ通勤のストレスはマシになりました。

作家やミュージシャンみたいな自由業の人でも、自宅とは別に仕事場を借りている人がちょいちょいいます。

通勤時間が苦痛で仕方がないという人も多いとは思いますが、良くも悪くもあの時間は仕事する日のリズムをつくっていました。

出社する中で、だんだん「よっしゃ仕事するぞ〜」という気持ちを高めて、退勤する中で「ふー今日も一日終わったな」とクールダウンしていく。いわばウォーミングアップとクールダウンの時間でした。

マジのワークアズライフ

通勤時間ゼロになるメリットというのは、特に長距離通勤を強いられていた人には大きかったでしょう。けれど僕のようにわざわざ職住隣接スタイルを選んだ人間には、そこまで大きいメリットではありませんでした。

2019年前はワークとライフをしっかりわけるタイプだったんですが、2019年頃から仕事モードとプライベートモードを同じにする「ワークアズライフ」型に切り替えていたタイミングでした。ワークアズライフという意識は持っていましたが、会社にいると仕事モードだし、家に着くと一気にホッとする、というスイッチは入っていました。

リモートになってから、これがマジのワークアズライフとなりました。家で仕事するし、家で休日を過ごすし、のホンモノのワークアズライフです。正直「ここまでは望んでなかった」というのが本音です。

別に普通に仕事するだけならまだいいんですが、たとえば障害対応でピリピリしたまま22時ぐらいまで働いて、さあ仕事終わりだ!ってなったとき、退勤時間があれば緊張が緩和されるんですが、リモートで働いていると上手くそれがリセットできなくて、なんか変な緊張感持ったままベッドに入った日もありました。

とりあえず仕事着に着替えるのは大事

ただリモート生活も半年を超えたぐらいで、だいぶ適応できてきた感じはありました。

とりあえず仕事モードへの切り替えに関しては、寝巻きから外に出られる服への着替えを毎朝ちゃんとやることで、それがリズムになっていきました。

最初は無理にそういうルーティンをつくろうとして、ラジオ体操やってみるとか朝散歩するとかやってたんですが、結局は「仕事着に着替える」というのが一番シンプルかつ効果的でした。

仕事終わり時は普通にシャワー浴びて、飯にするってだけですね。

個人的には仕事終わった後気づいたら部屋の外が真っ暗になってる感じが結構嫌いです。一日がなんか仕事に奪われちゃった感じがして。

あとは冷暖房は容赦なく入れるべきと思いました。寒さは結構根性で耐えがちなんですが、頭の働きが実はかなり奪われることがわかりました。

太りやすくなる

もともとデスクワークというのは太りやすい性質を持っているんですが、これに通勤時間0が加わると本気ですぐ太ります。消費カロリー0状態ですからね。これは恐ろしいです。

Apple Watchを買ったので、色々カロリー消費量を計測してるんですが、どうやら僕の場合通勤だけで往復あわせて150kcalぐらいは消費していたみたいです。単純計算で、一月20営業日と考えて3,000kcal。一年続くと36,000kcal。人間が体重1kg増やすのに必要なカロリーがだいたい7,200kcalらしいので、リモートになって食生活と運動習慣がそのままだと体重がプラス5キロになる計算になります!

僕の場合食べる量減らしたり運動量増やしたりで抗ってはいましたが、それでも体重増となりました。

食事がコミュニケーションに持つ重要性

会食が一番感染リスク高いとは散々言われていますが、それでも人は感染リスクをとってでも外食に行っています。

この現象を見て、やはり食事ってコミュニケーションの王様なんだなって思いました。

考えてみれば、女の子とデートするときって最初は必ず食事しますし、食事のセンスやトークでその後の展開が変わりますね。親戚の集まりもそうだし、仕事で会社間の重要な商談もいい店で社長同士がじっくり話し合う、みたいにやりますね。

以前コミュニケーションについて真剣に考えたんですが、コミュニケーションツールって相手も自分もできないといけない、という難しさがあります。僕は野球好きなんで、キャッチボールやバッティングセンターで一時間ぐらい潰すのは嬉しいですが、サッカー派の人ならフットサルでもやりたいでしょうし、バスケ派やテニス派の人もいるかもしれない。また、映画やショッピングも好みが大きくわかれます。

そんな中、食事ってすごいですよね。だって、食べない人間っていないじゃないですか。「野球やったことないです〜」って人はいても、「私、今まで一切食事という行為をしたことないです〜」って人、いないじゃないですか。もちろん偏食だとか宗教上食べられないものとか相手の体調とかのケアは要りますけど、他の趣味に比べたら断然ハードルは低いですよね。

リモートの孤独感がキツかった話とそれを解消した手段

リモートで一番キツかったのは孤独感です。

特に僕は一人暮らしなので、リモートで仕事が完結すると、一日のリアルな登場人物が、

・自分・Zoom越しのチームメンバー・コンビニの店員・郵便物の配達員(エキストラで街歩いてたマスクした近隣の人)以上

みたいになりました。これが数日ならまあ別にって感じですが、何ヶ月、あるいは何年(一年以上は僕も経験ありませんが)となると、結構効きました。いやー効かないタイプだという自己認識でしたが、効きました。

Twitterで他のエンジニアアカウントでも精神的なキツさを漏らしてる人を何人か見たので、やっぱ普通にキツいと思います。耐え切れる人間が異常だと思います。

9月、ちょうどリモート生活半年が過ぎた頃です。メンタルの落ちこみを感じていた僕は、とりあえず「長期休暇と旅行がない」というのがキツさの原因じゃないかなと思い、近所にあるホテルに長期滞在して気分転換する、というのを実行しました。

2泊3日ほどしたんですが、これが全然イマイチでしたね……

美味しいものを食べて、一日仕事のことを忘れてダラダラ過ごしてリフレッシュ! というつもりだったんですが、効果はイマイチでした。

旅行というのは、「知らない土地に行く非日常感」が大事なんだなと思いました。

「Life is a game」というスマホゲーで、主人公の幸福度が低くなりすぎると自殺してしまうんですが、それに近い状態になっているのを感じました。「感染予防がどうとかの前にこのままじゃ死んでまう!」と思いました。

結局どうしたかというと、大学時代の友人に連絡とって、一日遊んで、夜家に来てもらって酒飲むという一日をつくりました。

フェイストゥフェイスのコミュニケーションの価値

オンライン飲みで会社の人や友達と飲んだこともあったんですが、やはりフェイストゥフェイスのコミュニケーションには到底及ばないと感じました。

感染対策で会う機会を減らすのは大事なんですが、オンライン通話は必ずしもその代替にはならないと感じます。会食は危ないので、飲み食いせずに純粋にトークするような場があるといいのかもしれません。

このどうしてもフェイストゥフェイスで会わないコミュニケーションが半年以上続くとキツくなる現象は、僕がこれまでの人生で培ってきた社会性が、本能的なものと結びついているから起きるのかもしれません。

よくよく考えると人間以外の動物も、社会性というのを何らかの形で持っています。たとえば鳥は群れの中の一羽が飛ぶとそのあとをついていく習性があります。仮に何らかの事情で鳥がその行為を理性で我慢しなければいけなくなったとすれば、相当なストレスがかかるはずです。それと同じ状況が今なのかなという風に解釈しています。

今のソーシャルディスタンスの時代というのはどこかで終わるとは思うんですが、思考実験として100年、200年この状態が続くとしたら、我々の子孫はそれに適応するんですかね。学校は全部ビデオ通話で完結して、ビデオ通話で恋愛して、ビデオ通話で結婚式して、それに何らストレスも感じなくなる……フェイストゥフェイスにこだわる我々は理解しがたい老害で、若者からバカにされる……

まあしかし世界が風の谷のナウシカみたいにならない限り、そんな状況にもならないと思うので、あくまで思考実験の域を出ないですね。

以上、リモートワーク10ヶ月の一個人の感想でした。

(了)