無気力感で一週間ぐらい会社の仕事できなかった件について書きます

一月最終週にそういう状態になりましたが、今は回復してきたので、思い出しつつ書きます。

症状

  • 一月最終週に上手く仕事できなかった
  • 全てにやる気が出なかった
  • 「こんなことやって何の意味があるんだ……」「疲れたな……」「このままでいいんだろうか?」という感覚。無気力感? 悲観的になった?
  • 作業しはじめればやる気出てくる、とりあえずちょっとずつでもいいからやろう、みたいなことを思うも手が動かず
  • 例年、正月明けは年末年始の休みを挟んで、完全リフレッシュした状態で働けていました。今年もそんな感じで臨んで、一週目、二週目ぐらいは去年から持ち越した課題を順調に消化して、いい感じで働いてたんですが、三週目ぐらいで「なんか上手く乗り切れてないな……」って感じになって、最終週はもう完全に会社の仕事ほとんどできなくなりました。

    「できない」というのは変な表現で、客観的に見たら「いややらんだけやんお前」と思うんでしょうけど、なんかできなかったんですよね。今やってるプロジェクトの切れ目でもあったので、案件のタスク自体がそんなに切羽詰まったものがなかったのでセーフでしたが、危なかったです。

    症状的には限りなく鬱病のそれに近くて、軽度のものなんでしょうけど、明確なストレス要因が見つからなくて、対策が難しかったです。

    原因

  • 正月休みから上手く切り替えられなかった
  • 右足痛で激しい運動ができなかった
  • (↓この辺は今の感染症対策モードの起因する)
  • リモートワークで正月休みモードからの切り替えが難しかった?
  • 世の中の感染者数の伸びで気持ちが沈んだ
  • 人とのリアルな接触がなさすぎることからくる孤独感
  • ネガティブ材料をあげれば色々ありますが、一番大きいのは右足痛で運動できなくなったことだと自分では思います。症状的にはそんな重いものではなかったんですが、そのため油断して運動続けてたら、まっすぐ歩けなくなるところまで悪化させてしまい、完全に痛みがなくなるまで一ヶ月ぐらいかかりました

    運動ができない→普段より眠りが浅くなる→なんとなく気持ちが沈むので酒でストレス解消しようとする

    というよくない流れが発生しました。今は運動できるようになって、改めて感じましたが、きちんと肉体的に疲労した後の深い眠りはいいですね。

    プレイヤーとしての苦しみ

  • 達人になれるのか
  • 「金をもらえるレベル」という壁
  • 気が狂いそうな繰り返し
  • 僕の場合、以前も精神的に落ちた時期はあったんですが、そのときもケガ(そのときはヘルニア)が大きな要因だったように思います。ただ今回はそこまでのレベルのケガじゃなくて、それにしては気持ち落ちすぎだろ、と自分でも思うような落ち方でした。なんでこれしきのことでこんな気持ち落ちたのかなとつらつら分析してみました。

    2021年開始時期に置かれていた僕の状況については↓の「プレイヤーとしての2年目」に書いた感じです。

    順調は順調だと思っています。昔に比べると、本質的なところと向き合えている、という気がします。ただ本質的なことと向き合っている分、その辛さというのもまた芯食ってる側面があると感じました。

    何が辛いって要するに自分が思う「すごいもの」をつくれていない、というところに集約するんだと思います。「今の実力だとこれが精一杯」を何年も繰り返して、自分のスキルをあげていった先に、「すごいもの」がつくれる、というのは頭ではわかってます。そしてそれをやりはじめて、今年が三年目になります。

    最初は「飽き」なのかなとも思いました。二年も同じことやってるんで、もう飽きちゃったのではないか。元々極度の飽き性なので、この仕事に飽きている側面はあると思いますが、僕はもう飽きたからといって、軽々しく仕事を変えるつもりはありません。そして自分が今感じているものは「飽き」ともまた違うんじゃないかと思っています。

    アスリートのように、自分のスキルを高めていく。その年の最高パフォーマンスを出す。すると次の年はもっと上を目指す。それが達成できたら、次はもっと上。

    これって自分のレベルが低いときは簡単なんです。「基礎のこれができてないから、ここを改善しよう」という取り組みで、面白いように結果が伸びます。ところがレベルが高くなってくると、成長実感がなくなってきます。どんな分野でも、一年目→二年目のときと、十年目→十一年目のときとを比べたら、絶対前者の方が成長実感あるはずです。「ある分野を専門家として極めるために、十年、二十年と同じことをやり続ける」というのは、言葉にするほど簡単ではないと思いました。

    小説にせよソフトウェアにせよ、「とりあえず手動かして何かしらつくる」というところは実現しました。とても偉いですね。けど壁を感じているのは、もっと上のクオリティのアウトプットを出さないと、「金をもらえるレベル」には届かないというところです。(正確に言うとソフトウェアでは会社からお金もらってますが、これは会社の看板で仕事してるところがあります)

    「そもそもそんな高みまでいけんの俺?」という素朴な不安もあります。二年前は蛮勇で飛びこみましたが、だんだん周りが見えてくるに従って、フタをしていた不安が頭をもたげます。

    どんなに否定しても、僕のやっていることは競争という要素があります。普段は自分との競争で、自分のベストパフォーマンスを出す、ことだけを考えてますが、出したアウトプットが評価されるフェーズになると、それは紛れもない競争です。競争に晒されている疲れというのは、今まで感じていた疲れとちょっと種類が違うと思いました。

    前職の頃は、サラリーマンとして仕事でヘトヘトになっていつも疲れていたように思います。今もサラリーマンっちゃサラリーマンなんですが、リモートになったことも加わって、ほぼフリーランスみたいな生活になりました。満員電車に乗ってクタクタとか、上司に理不尽に怒られてイライラとかはなくて、サボろうと思えばいくらでもサボれる環境でもあります。肉体的にはめちゃくちゃ元気です。けど本当の意味で休もうと思うと、自分も他人も誰がどう見ても「これは仕事したね」と言うようなデカい成果を出してからじゃないと、ずっとモヤモヤしたまま仕事から離れることになります。

    誤解を恐れずに言えば、競争に晒されている疲れというのは、「勝ってからじゃないと気持ちよく休めない」というタイプの疲れなんだと思います。エンジニア業でたまに(優秀なのに)折れる人っていうのがいて、なんでだろうと思ってたんですが、たぶん本人の中で「気持ちよく休めない」という状態が何年も続いてしまったんだろうな、と今になってみるとわかる気がします。「俺はそんなマジメじゃないので、自分をそんなに追いこむことはないだろう」と思っていましたが、それに近い心理状態にはなっている気がします。最近は競争肯定派になっているので、別に自分が競争の中にいることは全然いいんですけど、ただ疲れるな、というのが正直なところです。

    やってよかったこと

    「プレイヤーとしての苦しみ」の節で書いたことは、別に単なる弱音を並べてるだけで、「そんなこと言ったってやるしかないじゃん」という話です。いや、当時もそれはわかってたんですよ。理性ではわかってても、上手く手と頭が働かない状態になりました。「理屈だけでは人間は動かない」と言いますが、自分の理性で自分が動かないとは思いませんでした。

    あまり意識してませんでしたが、自分の幸福度が下がっていて、それで滅入っているっぽいのを感じました。ストイックになりすぎると、プレイヤーとしての能力は上がるけれど、人間としての生きる楽しみは下がります。というわけで、本来なら年末年始でリフレッシュした状態でエンジン上げて、仕事モードに入っていくはずの一月末に、少し仕事おさえめにしました。

    色々試しましたけど、大きくメンタル回復に寄与したのは下記三つと思っています。

  • 無理に仕事するのをやめる
  • グノーシア買った
  • 右足の回復
  • グノーシアというのはswitchのゲームです。ゲーム実況で見て面白そうだったので、自分でも買ってしまいました。これがめちゃくちゃ面白かったです。

    グノーシア ダウンロード版

    幸いゲームはケガしていても、緊急事態宣言が出ていても、変わらずできるので、非常にいいですね。

    今後はどうしたい

    今はもう普通に仕事してますが、今回の教訓と今後どうしたいかです。

  • 「生きてて楽しいな〜」状態を保ちたい
  • 良質な娯楽が重要- 全力を出して、心地いい疲れに包まれて眠る感じにしたい
  • 仕事については常に100%のモチベーションを保つことは無理だし、危ない。0%をつくらない
  • ルーティンを保つのはいいけど、あまり変化のない日々を送りすぎると精神的に良くない
  • 人によるところはあるかも。僕は変化が欲しいです。
  • 一週間進捗0は、正直もったいなかったないですね。しかし結局、僕も機械ではない以上、アウトプットに波があることは受け入れないといけません。元々性格的には波のある人間なのに、2020年は規則的に安定したパフォーマンスを出し続けたのが、自分の思った以上のストレスだったのかもしれません。

    特に自分に対する基準が上がっているところがあって、昔なら一行コード書いただけで「わー俺すげー」ぐらいだったのが、今となってはGithubで草が生えない日は何もしてなかったような気持ちになるところまで来ています。今後はもっと上がっていくことになるんだと思います。基準が上がるほどに、「俺今日イマイチだったな」という日は発生しやすくなって、それで幸福度下げるのはバカバカしい気がします。

    今一番欲しいものは仕事上の成功なんですが、それはそれとして程々に遊んで、なまけていかないと、結局心が死んで動けなくなってしまう予感を今回の件で感じました。それもあって、今回こんなテーマで記事を書いてみた次第です。何かのお役に立てば幸いです。

    (了)