失敗についての考えの変遷
失敗についての考えが年をとるにつれて変わっていった。
失敗とは何か
辞書的な定義は調べていただくとして、 基本的には、何かに挑戦して、その目標に届かなかったことを失敗と呼ぶと思う。 一度も失敗したことがない人間は、完璧超人であるか、 自分の能力を把握して、実現可能な線しか攻めてこなかった、一度も挑戦したことがない人間かのどちらかだろう。
失敗を過度に恐れるのはなぜか
僕自身のことを言うと、失敗を過度に恐れるタイプだったわけでもない。 ただ人並みに失敗は避けようとしていて、あまりリスクはとらないようにしていた。
今の若者が失敗を過度に恐れているといわれるのは、いくつか要因があると思っている。 思いつく限りだと3点ある。
就職してから
大学の同級生が、卒業してから「単位が足りなくて留年する夢を見る」と言っていた。 僕は実際留年したが、留年する前はそういう悪夢を見たことがある。 けれど、実際に留年してみると、一度もそういう夢は見ない。 実際人生において、大した影響は出ていない。
高校受験や大学受験でも、第一志望の学校に落ちていたので、 そういう意味ではそこでも失敗しているのだけれど、そもそもの第一志望が模試で一度も合格圏に入らなかった学校だったので、 厳密な意味での失敗とは言えなかった気がする。 就職活動したが内定がとれなくて留年した、というのは普通にダサい。 失敗と言っていいだろう。 ただその後、なんやかんやで内定を得て、働き始めてからは普通に会社から評価されたし、金もまあまあもらえた。
この体験が、僕の中で失敗することに対する恐怖を軽くした気がする。 もちろん失敗しないに越したことはないのだが、 重要なことは失敗しないことではなく、失敗した後のリカバリが重要だ。
会社で仕事していても、「この案件、納期に間に合わなかったらどうしよう……」とか、 「上司から怒られたらどうしよう……」とか、その手の不安を一切考えなくなった。 僕自身は基本的に仕事をサボってやったことはなかったので、 (あまり意味がないタスク振られて、サボっていたことはある) 全力でやって失敗したのであれば、もともと納期の設定が短すぎたとか、僕の実力が足りなかったとか、そこが原因になる。 原因を特定したら、あとは軌道修正するだけだ。
スキル不足が一番辛いところだが、本当に会社として必要なら別の人材を割り当てるべきだし、 個人の行動としては、スキル不足を把握したなら、そのスキルを全速力でキャッチアップすることになる。
黒柳徹子のピアノの話
失敗の話は、挑戦の話と表裏一体となる。 挑戦については、「黒柳徹子のピアノの話」が最近好きだ。
僕が見たのはtwitterなのだけど、本当の出典がどこかにあるはずなので、知っている人は教えて欲しい。
学生の頃は、部活動やらサークルやら、何かに挑戦する制度が整っている。 同年代の仲間もたくさんいるし、何より暇な時間がたくさんある。 学校という組織を離れると、途端に何かをはじめるのは難しくなる。 だから、何かをはじめたいと思ったときに、理由をつけてその思いを潰すのは簡単だ。 忙しくて時間がないとか、一緒にはじめる仲間がいないとか、年齢的に厳しいとか、理由はいくらでもある。 ただやっぱ一年後に同じようにやっぱりはじめたいと思ったなら、それはすごくもったいない。 「何事も始めようと思い立った時に遅すぎることはない」というのは、やはりいい言葉だ。 ピアノ始めて全然上達しなくて、結局挫折したり、高い金出した割にすぐ飽きて別の趣味に走ったりしても、それは大したリスクじゃない。 本当にキツいのは、最初の一歩目が踏み出せなくて、本当にやりたいことができないまま人生が終わることだ。 そっちの失敗が、本当にとりかえしがつかない失敗だと思う。
(了)